東大パパの子育て日記

東大卒パパが子どもに伝えたいメッセージ

「勉強=ゲーム」という感覚をつかめば好循環が生まれる

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東大パパ(@todaipapa33)です。

以前、受験に関する記事を書いたところ、想像以上にたくさんのコメントをいただきました。(コメント頂いた方、どうもありがとうございます!)

正直、ちょっと手探りな感じで受験に関する記事を書いてみたのですが、記事に興味を持ってくださる方がいらっしゃって嬉しいです。これからも折を見て受験をテーマにした記事を書いていこう思います。

 

というわけで、さっそく書きます笑。

 

 

学校の勉強は「ゲーム」と同じ

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私は、勉強は「ゲーム」感覚でやると上手くいくと思っています。

個人的には、「学校の勉強」と「ゲーム」ってけっこう似ていると思うんですよね。特に、ドラクエやFF(ファイナルファンタジー)といったロールプレイングゲーム(RPG)に似ていると思うんですよね。

  • 主人公がレベルアップを目指す(テストの得点アップを目指す)
  • ボスがいる(テスト、入試などがある)
  • 攻略本がたくさんある(参考書がある)
  • 大人になって振り返ってみると、どちらもあまり意味がない笑

最初は、レベルが低かった主人公が、弱い敵を倒していき、経験値を上げてレベルアップしていき、さらにお金を貯めて武器や防具をそろえていく。ボスに挑戦するんだけど、1回目は上手く倒せなくて、さらにレベルアップするために敵を倒しまくったり、防具をそろえたり。そして、ボスに再度チャレンジする。ボスを倒した時の達成感が最高に楽しい瞬間。

 

勉強に当てはめてみると、

最初は、英語も数学も何もわからなかった主人公(=自分)が、簡単な基礎問題を解いていき、基礎学力を上げてレベルアップしていき、さらに親のお金を使って参考書や問題集、勉強のツール(電子辞書など?)をそろえていく。学校や塾の定期テストや進級テストに挑むんだけど、毎回毎回上手くいかなくて、さらにレベルアップするために問題をときまくったり、参考書を買ったり。そして、入試という大ボス(ラスボス)にチャレンジする。入試に合格した時の達成感が最高に楽しい瞬間。

って感じでしょうか。すごく似ていると思います。

 

こんな風に、勉強をゲーム感覚で楽しめたら、子どもはみんな勉強好きになるし、学力もついていくように思います。

じゃあ、なんで、「勉強=ゲーム」と思えないのか?

 

私なりに思うことは、2つあります。

  1. ゲームは「自分だけの世界」で楽しめるが、勉強は「他人と比較」してしまい楽しめない
  2. 子どもが「勉強はゲームなんだ」と思えるような「キッカケ」を意図的に作り出せていない

 

まず、1点目。

ゲームは、主人公と自分を重ね合わせて、自分だけの世界観で楽しむことができます。好きなペースでレベルアップできるし、好きな街に行けるし、好きな時にボスと戦える。最終的に倒すべき敵はゲームの中の「ラスボス」であり、学校の友達でもなければ、親や先生でもありません。

一方で、勉強になると、多くの子どもたちは、「勉強」という軸やモノサシ、自分と他人を比較してしまいがちです。テストで一番になったからといってエラそうになったり、テストで友達より悪い成績だったからといって自信を無くしたり。本来は、どうだって良いことです。ゲームでいうところの「ボス」は、テストで〇〇点とること!とか△△中学に合格すること!といったことであって、友達との比較なんてどうでもよいことです。本来は。

自分が楽しく、レベルアップしていけば良いだけだし、レベルアップしていくことは、みんな楽しいことのはずです。

 

2点目。

そうは言っても、「勉強はゲームと同じなんだよ!」と言っている子どももいないと思います笑。みんな、実際のゲームの方が楽しいですからね。

なので、実際の体験(=勉強でもスポーツでも良いと思います)において、

「あ、ゲームと一緒じゃん、これ!!」

「けっこう楽しいじゃん?!」

「むしろ、やみつきになるわ!!!」

というくらいに、ゲーム感覚を持てたら最高だと思います。(なかなか、ないと思いますが…笑)

 

いかに、ゲーム感覚的な楽しさを覚えられるか?そのキッカケが大事なような気がします。

 

1回ゲームの楽しさを覚えると好循環が始まる

私は、私立の中高一貫校出身で中学受験をしたのですが、「ゲーム的な楽しさ」を感じたキッカケを鮮明に覚えています。

小学校5年生のときです。それまでは「パッ」としない成績だった私。まったく大手ではない塾でしたが、成績は「中の中」くらい。良くて「中の上」という感じでした。そのころから漠然と中学受験して〇〇中学に行けたらいいな~と思っていましたが、合格できるかどうか怪しい位置でした。

それが、夏に受けた定期テストで、たまたまなのか良い点数が取れて、「上の中」くらいまで一気に順位が上がりました。

「なんじゃこりゃーーー!!」

という感じです。

今までとやっていることは何も変わりません。勉強時間を増やしたわけでも、クラスが変わったわけでもありません。それが急に成績が「ポンッ」と上がりました。

 

子どもながらに、めちゃめちゃ嬉しくて、楽しくて、しょうがなかったのを覚えています。

ゲームで言うと、「普通の敵を倒して、地道にレベルアップを目指していたら、たまたまレアな敵に遭遇して、倒してみたら、めちゃくちゃ経験値とお金をくれた。そして、一気にレベルも上がったし、もらったお金で良い武器と防具を買うことができた」みたいな感じでしょうか。

 

そこで思うのが、「じゃあ、なんで急に順位が上がったのよ?!」っていうことだと思いますが、正直、今となってはよくわかりません笑。

ただ、確実に言えることは、「宿題だけはやっていた」ということです。これは別の言い方をすれば、最低限の努力はしていた、ということでしょうか。逆に、最高なんて目指していなかったですし、ただただ宿題をちゃんとやっていたというだけです。追加で勉強をしていたわけではありません。

 

 もう1つは、「通っていた塾がちょうどよかった」という点です。

これは、今振り返ってみると思うことなんですが、結果的に通っていた塾のレベルがあっていたように思います。

つまり、あまりに「エリート」が集まる環境だと、「いくら頑張ってもレベルアップしない」という感覚に襲われます。

ゲームで例えると、「敵を倒しまくっても、経験値は増えないし、お金ももらえない。全然強くなっていかないぞ…」という状態でしょうか。こんなゲームは楽しくないです。

私の場合は、そこそこ敵を倒していたら「ちゃんとレベルが上がる」という環境でゲームを楽しめていたのだと思います。

 

どうやって最初の「成功体験」を積ませるか?

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話が少しそれますが、将棋の羽生善治さんは、最初に将棋を始めたときは「15級」から始めたと言います。これは、将棋道場の先生が「昇級する楽しさと喜び」を味わって欲しいという思いから、わざとそうしたようです。

今までは、「7級」が一番下だったにもかかわらず「15級」というクラスを作って、そこから「レベルアップ」していく楽しさを感じて欲しいという先生の想いだったようです。

勉強でも、何でもかんでもトップクラスがいい!ではなくて、あくまで最終ゴール、ラスボスに向けてのレベルアップの過程を楽しむことが大事だと思います。

 

ですから、他の子どもや友達との「比較」の中で「より良い環境(=上のクラス)」を良しとするのではなく、あくまで「自分がレベルアップしていける環境」を良しとする考え方です。

四谷学院は、かなり細かくレベル分けされているみたいですが、その背景に「レベルアップする楽しさ」があるのは想像できます。

 

まとめ

以上、長々と私見を書きましたが、参考になれば幸いです。

勉強なんて、しょせんはゲームだ!と思えば違った視界が広がるかもしれません。

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