小学校でプログラミングを学ぶべきか。
東大パパ(@todaipapa33)です。
2020年度に小学校でプログラミングが必修になるようです。私は、プログラミングできないので、2020年度には、「プログラミング」というモノサシでは、ほぼ全員の小学生が「私より能力が高い」という状態になるかもしれません。
ちょっと昔から、
- 英語、金融、ITのどれかに優れていれば、仕事はなくならない
- 英語、金融、ITすべてできるビジネスマンこそが優秀だ
という論調があるように思いますが、今となっては「プログラミングが義務教育」になるまでITの知識・スキルが一般化されているのですね。
プログラミングが必修になった背景
最も大きな理由に、日本における「IT人材の不足」があるようです。
これから、少子高齢化が進む中で、「いかに労働力を確保するのか?」というのは、日本が抱える非常に大きな課題の1つだと思います。
そのためにも少ない労働者層が、いかに効率的に仕事を進めていくか?という生産性を高める動きが活発になるのだと思います。
それに伴い、必然的に「ITの強化・発達・進化」というものを積極的に推し進めているのではないかと思います。
確かに仕事をする中で、プログラムを組んで業務を自動化したり、他のシステムと連携できたり、、ということができると、圧倒的に業務を効率化できます。これは確かにITの恩恵だと思います。
これから、日本としてますますITを強化していきたいのだけど、IT人材が足りない、、、という現状のようです。
高校生が大学に進学する際に、情報系の学部・学科に進む人が少ないのでしょうね。
プログラミングとは何か?抽象化して考えてみる
で、「プログラムとか、プログラミングとかって、いったい何なのよ?!」ってことなんですが、結局のところは「ツール、手段」に過ぎないと思うのです。
例えば、「〇〇ということを実現したい」という目的があった上で、「〇〇を実現するには、こうすれば良いですね!こういうプログラミングを組みましょう!」という手段の話になります。
この「手段」を具体的に実現できるスキル、つまり「プログラミング・スキル」を持った人が求められている、ということです。
たしかに、私の周りも見渡しても、プログラミングのコードを書ける人なんて、ほとんどいません。
これが、小学校の必修科目となると、ほとんどの人がプログラミングをかけることになります。得意、不得意もあるでしょうから、「100%全員」というわけにはいかないと思いますが、全体の10%でもプログラミングを自由にかけるようになると、彼らが働き始めるころには、仕事の生産性は全体として大きく向上しているのでしょうね。
これからの日本において、本当に「教育」すべきこと
社会の歯車にならないように…
プログラミングの必修化は、良い一面もあると思いますが、注意すべき点もあると思います。
プログラミングを必修化することで、「手段」ばかりに目が行くようになって、目的志向の人材が育たなくなるのではないかという懸念があると思います。
極端な表現をすると、プログラミングの必修化は「プログラミングができる “社会の歯車” を大量生産している」とも考えられます。
彼らにとってのひと昔前の世代、つまり今の私たち世代(30代)でしょうか、その世代の人たちはプログラミングできることが「すげーー」と思われていたのですが、いまの小学生世代にとっては、今後、「プログラミングができるのなんて当たり前じゃん」という感覚になると思います。
そこで、将来、彼らが働き出したときの上司や社長とかが、「こういうことを実現したい!」という夢やビジョン、目標を掲げたときに、「社会の歯車」として大量に「利用される」危険性があります。
目的志向、未来志向、起業家志向が求められるかもしれない
そのような「歯車」として、プログラミングを活用するのではなく、自分が考える人生の目的や夢、実現したい社会などに向けて、積極的&主体的にプログラミングを活用できれば素晴らしいと思います。
そうなると、プログラミングという手段、スキルは「サッサと」身につけて、「自分が実現したいことは何かな~」と考えたり、「こういう社会を実現したい!」という起業家精神(アントレプレナーシップ)を育てたり、というのが大事になってくるのではないかと思います。
おわりに
私も社会人として、まだまだです。
えらそうに「こういう社会にしたい!」ということは言えませんし、いまはそこまでの能力もありませんが、人間の可能性は無限大にあります。
常に、人間の可能性を信じて、未来志向と目的志向を持って、自分の人生を歩んでいきたいと思います。