東大卒の親は、「自分の子供にも東大に行ってほしい」と思うか?その③
ここ数日、「東大卒の親は、自分の子供にも東大に行ってほしいと思うか?」というテーマで、記事を更新しています。
今回は、第3弾の記事として、「東大に行くことのデメリット」について、書いてみようと思います。
私自身にも当てはまるものがあります。自戒の意味も込めて書きます笑。
あとは、周りの東大卒の友人、知人を見渡して、一般化できることをまとめてみました。
- ①何ごとも「正解」があると考えてしまう
- ②「問題」が設定されないと上手く行動できない
- ③価値観が狭くなる
- ④「あれ?ひょっとして、実は自分ってそんなに勉強ができないの?」「あれ?もうテストってないの?」と気づくと、めちゃくちゃ弱くなる
- ⑤ムダなことができない
- おわりに <総合的な見解>
①何ごとも「正解」があると考えてしまう
これは、いわゆる学校教育、詰込み教育、受験勉強の弊害かもしれませんね。
基本的に、「何ごとにも正解がある」という前提があります。
受験勉強、テスト勉強のし過ぎからでしょうかね。
ついつい、正解を探し求めて、行動に移せなかったり、
正解か、不正解か、の判断や評価ばかりをしていたり、
特に何もせずに、何もアウトプットを出さずに、時間だけが過ぎていく、、、
ということがあります。
世の中、何が正解かなんて、わかりません。
自分が選んだ選択肢を「正解だ!」と思って、信念を持って行動していくことのほうが大事だと思います。
②「問題」が設定されないと上手く行動できない
①と似たような課題ですね。
「問題を解く」ことに慣れているので、「問題は与えられるもの」という前提があります。
ビジネス書などで、盛んに言われていますが、
「問題解決で最も重要なことは、正しい問いを立てられること」
「正しい課題設定ができれば、問題は大部分は解決できている」
つまり、
大学を出たら、
与えられた問題をいかにして解くか?いかに正解を導けるか?
ということよりも、
現状を踏まえて、どのような課題を設定できるか?どのような問題意識を持てるか?
ということが何倍も重要です。そして、難しいことです。
これは、日々、仕事をしていく中でも、たびたび実感することです。
仕事ができない人や視野が狭い人は、とにかく課題設定が下手です。
自分もそうならないように、いつも気をつけています。
東大生というのは、とにかく与えられた問題を解くということの訓練をしてきました。
無意識のうちに、「問題は与えられるもの」と考えがちです。
このクセがなかなか抜けないものです。
③価値観が狭くなる
人間というのは、やはり自分がかわいいもので、自分の考えや価値観というのは、他人から認められたいと思うものです。
他人から認められなくても、評価されなくてもいい!
と思える人は、なかなかいないと思います。
ましては、中学生、高校生のうちは、
目立ちたい、かっこよく思われたい、
先生に褒められない、親に褒められたい、
周りに自慢したい、
などと思うものです。
そして、「高校」という世界において、
全国的に知られていて、ほぼ全員の高校生から認知されている価値観(=物差し)として、「大学受験」、「偏差値」というものがあります。
- あいつは頭が良い。
- 偏差値は75あるらしい。
- 俺は、偏差値が高いから、頭がいい。
など。一度は、似たような会話をしたこと、聞いたことがあるはずです。
東大に合格した人というのは、ほとんどの人が、この価値観(=物差し)の世界の中で勝ってきました。周りから認められてきました。
当人としては、とても気持ちがよいものです。
どんどん、その価値観を好きになり、
そして、その価値観を正当化しようとします。
他の人は、
勉強なんてつまらない。もっと他のことをしよう。
と思ったりして、いろんなことに時間を使うこともあるでしょう。
その中で、さまざまな経験をして、いろんな価値観の土台のようなものを形成していったります。
もちろん、東大に行った全員の人が、勉強だけに偏った価値観を持っているわけではないですが、確率でいうと、とても多いです。
「勉強ができる俺、すげぇぇぇぇ!!!」
「勉強ができないあいつ、マジでクソだわwwwww」
このような考え方からうまく抜け出せない人、多いのです。
④「あれ?ひょっとして、実は自分ってそんなに勉強ができないの?」「あれ?もうテストってないの?」と気づくと、めちゃくちゃ弱くなる
③の続きですね。
「勉強できる俺、すげえぇぇ!!」
と思っていた高校時代。
東大に入ると、ほとんど人が感じるであろう「自分の無力感」。
言ってみれば、「俺は地元の高校で1番勉強ができたんだぜ!!」という高校生が、全国から約3,000人集まってくるわけです。
その中で、明確な順位はつきませんが、だいたいの「順番」はわかるものです。
「あれ?ひょっとして、実は自分ってそんなに勉強できないの?」
「あれあれ?!ウソでしょ?俺って頭いいよね?!」
「ウソでしょ?俺が勉強できないなんて、信じないし!」
と、ちょっとした混乱状態になります。
当然と言えば当然です。
今まで、自分が最も大事にしていた価値観が一気に崩壊していくわけですから。
そうは言っても、たいていの東大生は、自分の「井の中の蛙」状態を自覚して、成長していくわけですが、
これが、驚くことに、一定の割合で、この混乱状態から抜け出せずにつぶれていく人がいるのです。
- うつ病になったり、
- 社会に上手く適応できずにひきこもりになったり、
- 勉強することを放棄して、単位すら取得できずに退学になったり、、
私の友人にも、数人います。
これは、非常にもったいないことですし、東大生の1つの特徴と言ってよいと思います。
私も繰り返し述べていますが、「勉強なんて、できようができまいが、どうだってよい」のです。
それをわかった上で、「それでも私は勉強をする」という自分なりの判断や決断が重要だと思うわけです。
勉強しかしていない、つまらない人間にはなって欲しくないなーと思います。
⑤ムダなことができない
一部の天才を除いて、私を含めた凡人が努力して東大に行こうとすると、一定量の努力、勉強量が必要です。
一方で、時間も無限にあるわけではなく、限られています。
必然的に、計画を立てて、効率的に勉強することが求められます。
その結果、「ムダなことをしたくない」という思考になります。
無意識のうちに、「あ、これは時間の無駄だな」と判断して、ムダなことを避けてきたことが多いと思います。
これは、ある友人が東大を卒業して、社会人になりたての頃に、言っていた言葉ですが、
「俺、ムダな会話ができないわー」
「会社入って、ムダな会話の重要性に気づいたわー」
とのこと。
これは、すごくわかります笑。
書店をのぞくと、「雑談力」「会話が途切れない方法」などと謳ったビジネス書がたくさんあると思います。
「一見するとムダな話」がとても重要なことが多いです。
しかし、効率ばかりを追い求めてきた東大生には、ムダなことができないことが多いわけです。
これは、1つのデメリットと言っても良いでしょう。
おわりに <総合的な見解>
3回に分けて、大学受験、東大に関して、自分の意見を書いてみました。
メリットデメリットは、当然ありますが、総合すると、
・勉強なんてできてもできなくても良いが、
・それでも勉強して、自分がたどり着きたい世界があるならば、
・東京大学という踏み台は、とてもコスパと性能がよい踏み台。利用した方が良い。
・常に、自分の価値観を広げていくことを忘れないようにすることが重要。
という感じでしょうか。
参考になる方がいらっしゃれば幸いです。