東大パパの子育て日記

東大卒パパが子どもに伝えたいメッセージ

カヌー選手のドーピング問題から「人間性の教育」について考えてみた。

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東大パパです。

お久しぶりです。ブログ更新が滞り気味です。これはいかんですね。なるべく続けたい。

先日、日本のカヌー選手によるドーピング事件がありましたね。個人的に、結構衝撃でした。「こんなドーピング事件もあるんだなー」というのが率直な感想。この事件からいろんなことを学ばないといけないと思います。私は、まったく関係ないのですが、子育てする上で、「人間性の教育」について考えてしまいました。

子どもに伝えたいメッセージとして、わが家の家訓入りです。

www.todaipapa.com

 

 

カヌー選手のドーピング問題のあらすじ

ここでは詳細は省きます。ネットニュースにいろいろ書かれています。

カヌー鈴木選手に8年間の資格停止処分 「ライバル選手を陥れようと」― スポニチ Sponichi Annex スポーツ

 

簡単にまとめると、

ある選手が、オリンピックに出場したいがために、ライバル選手の飲み物に薬物(ドーピング剤)を混入した、

という事件です。

 

加害者の行動を考える

絶対に許されるべき行為ではないが、犯行の動機は極めて「人間らしい」

確かに、罪を犯した選手の行動は、絶対に許されるべきものではありません。永久追放されてもしかたのないレベルの大罪だと思います。

しかし、「そんな大罪を犯す奴はダメだ!」と断罪して終わるのではなく、ちょっと考えてみたいと思います。

というのも、加害者の心境は、とても人間らしく、よくもわるくも本能的な行動です。つまり、「ライバルに勝ちたい!」と思う気持ちは誰しもが同じだということです。

その気持ち、利己的な感情をどのように対処するべきか?自問自答する中にその人の人間性が如実に現れると思います。

のちに自白&猛省していることから良心はある

事件発覚後、いろんなニュースが追加で流れていましたが、この加害者の行動として、「良心の呵責から自白」しています。

こおあたりも良い意味で、とても人間的です。

自分の中で、当然、心の葛藤があったのでしょう。そして、その葛藤の揚げ句、自白しています。自分の行動に対して、全面的な非を認めて、反省と謝罪の弁を述べています。(本心からの反省と謝罪だと信じたいですが・・・)

他の極悪な犯罪者と比べると、とても人間らしさが表れた事件だったと思います。

オリンピックに出たい!という、とても高い志、情熱、目標、夢があったからこそ、この加害者の人間の善と悪が如実に現れたように見受けられます。

 

被害者の行動を考える

今度は、被害者の行動を見てみたいと思います。

「プロフェッショナル」としての自覚の低さとリスク管理の甘さ

 この事件のあと、あるニュース記事の中で、ハンマー投げの室伏広治選手が以下のようなコメントを残しています。引用します。

「前代未聞でスポーツマン精神に反する出来事。大変残念で言語道断」と話す一方で、被害を受けた側の対策も重要だと指摘。「実際に私も選手村で食事中、席を離れる際は必ず誰かに見させていた。帰ってきた時も変わったことはなかったかを確認し、食事をしていた。徹底していた」と自身の経験を振り返った。

 対策を取るようになったきっかけを聞かれ「海外ではよくある話。ボトルを1回空けて席を離れたら、もう飲むなというのは当たり前」と語った。

 日本人選手の自己防衛意識については「日本のアスリートはもう少し危機感を持つべきだと思う。口にするものはアスリート自身の責任というのは当然のこと」と断言。今後の対策は競技団体を中心に教育、指導を徹底すべきとした。

(日刊スポーツより)

世界的な選手であり、ハンマー投げという競技に対するその真摯な姿からでしょうか。発言に説得力と、影響力があると思いました。

室伏広治選手は、被害を受けたのは完全に被害者の自己責任である、と言い切っているように聞こえます。それほど、アスリートとして、体調管理、特にアスリートの資本である身体を形成する食事・飲料に対しては、とてつもないプロフェッショナル意識で摂取しているのだと思います。

今回のカヌー大会の競技会場がどのような環境だったのかは不明ですが、被害者としても、加害者を責めるのではなく、自分の身体、そしてドーピングの疑惑にさらされるリスクを管理するために、自分ができることを徹底すべきだったのでしょう。

「たぶん大丈夫だろう」「俺は大丈夫だろう」という気持ちがあったのだと思います。とくに、この加害者・被害者のお二人の関係性はとても良好で、強い信頼関係が結ばれていたみたいです。つらいことだったかもしれませんが、「そのような信頼できる人でも、ドーピング剤をいれるかもしれない」というリスクを頭に入れておくべきだったのでしょうね。これは、オリンピックという世界レベルで「戦う」アスリートとしては、覚悟して、徹底すべきだった、ということなのかもしれません。

 

おわりに

人間の中にある「善」と「悪」。そして、その葛藤を自分の中でどのように対処すべきなのか。

そして、どんなに「善人」に見える人でも、自分に「悪」をもたらすかもしれない。その可能性、被害のリスクを頭の片隅にいれて行動することが大事なのかもしれません。特に、真剣な勝負、勝ち負けに関わることに対しては、当てはまるのだと思います。

子どもはもちろん、自分自身にも考えさせられる事件でした。