東大パパの子育て日記

東大卒パパが子どもに伝えたいメッセージ

「時間」は無駄にしてはいけないが、無駄な時間なんてない。

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東大パパ(@todaipapa33)です。

今日は、子どもへのメッセージを。わが家の家訓の一部です。 

 
このブログでは、子どもに伝えたいメッセージを「我が家の家訓」としてまとめています。

我が家の家訓 - 東大パパの子育て日記

 

 

前回の続きで、「時間」に関してです。

 

前回の記事はこちら↓

shootingstar30.hatenablog.com

 

後悔はあっても「無駄」な時間はない

前回の記事で、

  • 時間は、すべての人間に平等に与えられたもの。1日は24時間。
  • 時間はとても大事なもので、その「時間」をどのように過ごすかがその人の「人生」そのもの。
  • 時間は後戻りできない。今日は、二度と来ない。

という内容の記事を書きました。

 

 そうはわかっていても、

  • 無駄な時間を過ごしてしまった…
  • あのとき、もっとこうしておけば良かった…
  • 一生懸命努力したけど、成果がまったく出なかった…

という思いを抱く人が少なくないと思います。

 

しかし、私は、「無駄な時間なんて、ない」と考えています

 

一見、「無駄な時間」、「不要な時間」と思われるような時間は、

  • 「無駄な時間だった」と自覚して反省できる時が訪れます
  • 自分が信じた道や選択が間違っていたとわかる時が訪れます。

それは、「これから先、絶対にその選択肢を選ばない」と理解するための時間だった、と考えることができます。

 

例えば、勉強でも、スポーツでも、芸術でも当てはまると思いますが、自分はこれがしたい!自分はこれが得意だからこれなら成功を収められる!という気持ちがあります。志が高い人ほどそのような気持ちがあると思います。

  • 自分は、数学が得意だから、将来は数学の学者になろう
  • 自分は、この地域で野球が一番上手い、だから将来プロ野球選手になるんだ
  • 自分は、漫才で日本一になる!M-1グランプリで優勝するんだ

このように、いったん自分が決めて目指すことにした目標に対して、実現できなかったり、途中であきらめてしまったりして、無駄な時間だったかも、、、と思ってしまう人がいます。

しかし、このような人、特に自分の目標に対して真摯に向き合ってきた人ほど、無駄な時間なんかではありません。

まず、彼らが判断できることとして、

  • これからの人生で、数学の道には進まない
  • これからの人生で、プロ野球選手を目指すことはやめよう
  • これからの人生で、漫才でM-1グランプリ優勝を目指すのはやめよう

ということが挙げられます。これから先の「迷い」をなくせるのです。

 

さらに、

「いやいや、俺はそんな目標も持っていなくて、今までなーーんにもしてこなかった。」

「ホントに、無駄な時間だった。振り返りたくもない…」

という人もいらっしゃると思います。

 

そのような人にとっても、無駄な時間なんてないと思っています。

そのときの自分が判断して、行動して過ごした時間なわけです。

無駄だったとか、不要だったとかいう「評価」をくだして、グダグダ言っているより、そのときの自分の判断と行動を尊重して、反省すべきことがあるなら、明日以降の活力にすればよいだけです。そのような活力を得られるような経験を積めた、ととらえれば決して無駄なものではありません。

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すべての経験から何かしらの「学び」を得る

つまりは、

  • 自分の過去の判断や行動を正面から受け止めて、尊重する
  • その過去の判断や行動から「学び」を得る
  • そして、その「学び」を今後の判断や行動に生かす

ことが大事だと思います。

 

これは、すべての時間、つまり、すべての自分の判断や行動に対しても当てはめることができると思っています。

自分がした判断と行動に、ちゃんと自己責任を持ち、そこから学ぶことができれば、何一つ無駄なものはないと思います。

 

人間は、つい、「1つのものさし(≒価値観)」で判断しがちです。

 

しかし、世の中には、様々な価値観がありますし、自分の中にも大切にしている価値観はたくさんあるはずです。

 

そのようなたくさんの価値観で測ると、かんたんに一言で「無駄な時間だった…」なんて言えないと思います。

  • 他の価値観で見てみると、良いこともあるし、学びもある
  • 今まで考えたこともなかった価値観に出会えた

などなど。

たくさんの学びがあると思います。

自分の判断を「正解」にしていく力

このように言うと、

「無駄な時間なんてないんだー!」

「じゃあ、何をやっても無駄じゃないんだな!」

「好きなことをやろう!」

「今は、適当に時間を過ごそう!」

などと考えることも可能です。

 

もちろん可能ですし、その人の人生なので、その人の自由です。

または、長い人生の中では、「浮き沈み」がありますから、「沈んでいる」ときには、ちょっと前向きに考えられないときもあるでしょう。

 

しかし、総論としては、「自分が下した判断や行動が、正しいものだった」と思えるくらいに、真剣に考えて、行動をすべきだと思います。

 

そのときの自分が、ありったけの脳みそを振り絞って考えて、考えて、考えた揚げ句の判断と行動ならば、すべて正解です。

何1つ無駄な時間なんて発生しません。

 

しかし、多くの人は、ほとんどのときに、そこまで考えて判断を下しません。

自分の人生ですから、将来進む道や、やりたいことに関しては、

自分が納得するまで考え抜いて、

 

そして、いろんなことに取り組んで、努力を重ねても、

万が一、成果が出なくても、成功を収められなくても、

まったく無駄ではないと思います。

 

そこまでして下した判断と、自分の行動は、「正解」です。

 

このように、自分が納得するまで考え抜き、行動して、1つでも自分の中でも正解を増やしてほしいと思っています。 

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娘の大好きなお友達

娘は、平日、近くの保育園の園庭に遊びに行ったり、公園で遊んだりしています。

そんな中で、たくさんのお友達ができて、仲良くしてもらっています。

 

中でも、特別に大好きな男の子の友達がいるようです。

その子と遊んだ日は、必ずと言っていいほど、私にも報告してくれます。

 

「きょうね、〇〇くんとあそんだの!!」

「〇〇くんとね、△△ちゃんとね、あそんだの!!」

 

その大好きな男の子の話は、娘も興奮気味に話ししてくれます。

よほど、大好きで、楽しいのでしょうね。

 

私が、ちょっといたずら心で、

「パパと〇〇くん、どっちが好き~~?!」

って聞くと、

 

娘は、即答で、、、

 

 

「〇〇くん!!」

「〇〇くん、だいすき!!」

 

 

という回答が、、、笑

 

 

わたくしは、完敗でした、、、笑

 

お友達が増えて、仲良くしていることが、何よりなので、

自分のなかで「よし」とすることにします。。。

娘の「パパとあそびたいのー!!」という一言に感動した。

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東大パパ(@todaipapa33)です。

ここ最近は、子どもと遊ぶ時間を作るようにしています、という記事を書きました。

 

平日、仕事から帰ってきたあとも、なるべく時間をとって、少しでも子どもと一緒に遊ぶ時間を作るようにしています。

そんな努力の甲斐もあってか、娘のほうから積極的に「パパ、あそぼ~」と言ってくれるようになりました。

 

「パパ、おかえり~」の一言に癒される

まず、私が家に帰って来るやいなや、

「パパ、おかえり~~~!!」

と言って、かけよってくれます。

 

これは、パパならわかると思いますが、

 

最高に癒される瞬間です!!

 

仕事でいろんなことがあっても、子どものこの笑顔ですべてがふっ飛びます。

 

そのあと、着替えたりして、一段落すると、

「パパ、あそぼ!」

「ボールであそぶの!」

「こんどは、みーみーかいしよ!」

という感じで、いろんな遊びをします。

 

 

「パパとあそびたいのーー!!!」という一言に感動した

しかし、いつもいつも、仕事終わって平日に遊べるわけもなく、

ときには、子どもが寝る直前に、私が家に帰るときもあります。

 

そんなときは、私が着替えたりしている間に、娘は「ふとん行き」になります。

ママの「ねんねの時間だよ~」という一声で、寝る準備が始まります。

あまり、夜遅くまで起きているのは子供にとってもよくないので、私も早く寝て欲しいという思いがあります。

 

しかし、娘としては、「遊び相手」である私が帰ってきて、遊びたいスイッチがONになります。

 

パパとママからは「ねんねするよ~!」という声。

 

しかし、遊び相手と遊びたい娘。

 

 

しばらくしていると、

 

「ヤダーー!パパとあそびたいのーー!!」

 

と泣き始めました。

 

そんなことを言われたのは初めてのことで、ちょっと感動してしまいました。

 

というのも、娘が生まれてしばらくしてからの時期は、仕事が忙しくてほとんど子どもと接する時間を取れなくて、「パパとなじんでくれない時期」というのがありました。

 

やはり、一緒にいる時間が長いため、「ママっ子」になってしまいます。

 

私自身、少し寂しい気持ちもあり、悩んだりした時期もありました。

そんなこともあり、比較的時間がある今は、子どもと遊ぶ時間を取るようにしています。

 

 

なので、泣きながら「パパとあそぶのー!!」「パパと遊びたいーー!!」と言ってくれて、ちょっと感動して、ウルっと来てしまいました。

 

 

娘がそんな風に自分のことを思ってくれるようになったんだ、と。

 

毎日、少しでも時間をとって、娘と向き合う時間を作ってきたおかげなのかなー、と思っています。

 

これからも、なるべく早く家に帰って、子どもと遊ぶ時間を作ってあげたいと思います。

小学校でプログラミングを学ぶべきか。

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東大パパ(@todaipapa33)です。

2020年度に小学校でプログラミングが必修になるようです。私は、プログラミングできないので、2020年度には、「プログラミング」というモノサシでは、ほぼ全員の小学生が「私より能力が高い」という状態になるかもしれません。

ちょっと昔から、

  • 英語、金融、ITのどれかに優れていれば、仕事はなくならない
  • 英語、金融、ITすべてできるビジネスマンこそが優秀だ

という論調があるように思いますが、今となっては「プログラミングが義務教育」になるまでITの知識・スキルが一般化されているのですね。

 

プログラミングが必修になった背景

最も大きな理由に、日本における「IT人材の不足」があるようです。

これから、少子高齢化が進む中で、「いかに労働力を確保するのか?」というのは、日本が抱える非常に大きな課題の1つだと思います。

そのためにも少ない労働者層が、いかに効率的に仕事を進めていくか?という生産性を高める動きが活発になるのだと思います。

それに伴い、必然的に「ITの強化・発達・進化」というものを積極的に推し進めているのではないかと思います。

確かに仕事をする中で、プログラムを組んで業務を自動化したり、他のシステムと連携できたり、、ということができると、圧倒的に業務を効率化できます。これは確かにITの恩恵だと思います。

 

これから、日本としてますますITを強化していきたいのだけど、IT人材が足りない、、、という現状のようです。

 

高校生が大学に進学する際に、情報系の学部・学科に進む人が少ないのでしょうね。

 

プログラミングとは何か?抽象化して考えてみる

で、「プログラムとか、プログラミングとかって、いったい何なのよ?!」ってことなんですが、結局のところは「ツール、手段」に過ぎないと思うのです。

例えば、「〇〇ということを実現したい」という目的があった上で、「〇〇を実現するには、こうすれば良いですね!こういうプログラミングを組みましょう!」という手段の話になります。

 

この「手段」を具体的に実現できるスキル、つまり「プログラミング・スキル」を持った人が求められている、ということです。

 

たしかに、私の周りも見渡しても、プログラミングのコードを書ける人なんて、ほとんどいません。

これが、小学校の必修科目となると、ほとんどの人がプログラミングをかけることになります。得意、不得意もあるでしょうから、「100%全員」というわけにはいかないと思いますが、全体の10%でもプログラミングを自由にかけるようになると、彼らが働き始めるころには、仕事の生産性は全体として大きく向上しているのでしょうね。

 

これからの日本において、本当に「教育」すべきこと

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社会の歯車にならないように…

プログラミングの必修化は、良い一面もあると思いますが、注意すべき点もあると思います。

プログラミングを必修化することで、「手段」ばかりに目が行くようになって、目的志向の人材が育たなくなるのではないかという懸念があると思います。

極端な表現をすると、プログラミングの必修化は「プログラミングができる “社会の歯車” を大量生産している」とも考えられます。

 

彼らにとってのひと昔前の世代、つまり今の私たち世代(30代)でしょうか、その世代の人たちはプログラミングできることが「すげーー」と思われていたのですが、いまの小学生世代にとっては、今後、「プログラミングができるのなんて当たり前じゃん」という感覚になると思います。

 

そこで、将来、彼らが働き出したときの上司や社長とかが、「こういうことを実現したい!」という夢やビジョン、目標を掲げたときに、「社会の歯車」として大量に「利用される」危険性があります。

 

目的志向、未来志向、起業家志向が求められるかもしれない

そのような「歯車」として、プログラミングを活用するのではなく、自分が考える人生の目的や夢、実現したい社会などに向けて、積極的&主体的にプログラミングを活用できれば素晴らしいと思います。

そうなると、プログラミングという手段、スキルは「サッサと」身につけて、「自分が実現したいことは何かな~」と考えたり、「こういう社会を実現したい!」という起業家精神(アントレプレナーシップ)を育てたり、というのが大事になってくるのではないかと思います。

 

おわりに

私も社会人として、まだまだです。

えらそうに「こういう社会にしたい!」ということは言えませんし、いまはそこまでの能力もありませんが、人間の可能性は無限大にあります。

常に、人間の可能性を信じて、未来志向と目的志向を持って、自分の人生を歩んでいきたいと思います。

 

 

 

子育てにイライラはつきものなのか。

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東大パパ(@todaipapa33)です。

昨晩は、2人の子どもの夜泣きがありました。

下の子は乳幼児なので、お腹が空いたときはママの授乳を求めて、泣き叫びます。

上の子は、まだまだママに甘えたいみたいで、寝言なのか意識があるのかわかりませんが、ときどき「ママーーー、ママーーー!!!」と泣き叫びながら目が覚めます。

 

今までは、「同時」に泣き叫ぶことや、立て続けに「交互」に泣き叫ぶことは少なかったのですが、昨晩は久しぶりに2人が同じタイミングで泣き叫んでいました

 

妻は、下の子どもに授乳しないわけにはいかないので、必ず起きて子供の対応をしてくれます。

私も、正直、疲れて眠たいときが多いのですが、なるべく背中をさすったり、ポンポンしたり、泣き止むように頑張ります。

 

それでも子供が泣き止まないときは、

 

悪いなーと思いながらも、やっぱり「イライラ」しちゃうですよね。。。

 

そのときは、

「もーーーー、いいかげん寝てよー!!!」

と思って、イラッとするのですが、

 

 

あとあと振り返ると、自己嫌悪におちいります。

 

 

んで、怒っちゃったんだろう。。。

 

 

その繰り返しです。。

 

 

なるべく、子供には穏やかな気持ちで接したいと思いますが、親も人間ですから喜怒哀楽があります。頭では分かっていても、そんなにうまく感情をコントロールできません。

 

このイライラとどのように向き合うべきか、悩ましい今日この頃です。

 

私は、平日の日中は仕事に出かけて、子どもと離れる時間があるので、まだ子供たちへの「イライラ」ともうまく付き合えます。

しかし、ずーーーっと子供たちと一緒にいる妻は、「イライラ」しているときでも子供と向き合わなくてはいけません。子どもは離れられないので、さらに「イライラ」がつのっていく可能性があります。

 

人間ですから、いつ「イライラ」が爆発するかわかりません。

私もそうですが、妻の育児の気分転換もどこかで考えなくてはいけないなーと思っています。

2歳の娘との「かくれんぼ」が楽しすぎる

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東大パパ(@todaipapa33)です。

この週末は、娘とめちゃくちゃ「かくれんぼ」をしました。

しかも、家の中で笑。

 

せまい家なので、せいぜい廊下を挟んで2つの部屋でしか、かくれんぼできないのですが、娘は「かくれんぼ」が大好きなようです。

しかも、「かくれんぼ」をするときの掛け声である「もーいーーかい?!」という掛け声をうまく発音できないようで、「みーみーーかい?!」と聞いてきます。

それがまた面白いです。

 

「パパ、みーみーかい、しよ!」

 

って言ってきます。

 

独自のルールで「かくれんぼ」を楽しむ娘

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一般的な「かくれんぼ」の遊び方は、こんな感じだと思います。

1. 鬼と隠れる人を決める
2. 隠れる人が、どこかに隠れる
3. 鬼が「もーいーーかい?」と聞く
4. 隠れる人が「もーいーーよ!」と答える
5. 鬼が、隠れている人を探す

娘の場合は、4と5がまだ理解できていないようです。

 

私が、鬼役になって、「もーいーーかい?」と聞くと、

・「ここだよ〜!」と自分から大きな声で教えてくれたり
・はたまた、笑いながら私の方に走って出てきてくれたり

 独特な遊び方で楽しんでいます。

 

「キャッキャッ」言いながら、夢中になってはしゃいでいるので良しとしています。

 

気が済むまで遊ばせる

とりあえず、私の方針としては、子ども遊ぶときは、

・なるべく子どもと同じ目線の高さで遊ぶ
・子どもの気が済むまで一緒に遊ぶ

ようにしています。

 

そのおかげかどうかわかりませんが、子どもが納得するまで遊ぶと、われわれ親の言う、さまざまなことにもじっくり聞いてくれるようになったかな~と感じます。

 

 

例えば、

  • この本を読んだら、お風呂に入ろうねー
  • ボールで遊んだあとは、ご飯にしようねー

とか。

 

納得するまで、根気強く接してあげると、子どもの方もこちらの主張にも少しは耳を傾けてくれるようになったように思います。

 

私の取り組みが影響しているのかわかりませんが。笑

 

 

これから

娘が夢中になって遊んでくれて、ご機嫌になってくれる遊びが1つ増えました。

困ったときは、「みーみーかい しよ~!」と誘えば、機嫌がよくなってくれると期待しています(笑。

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子ども連れはオシャレなカフェに行ったらダメなのか?!

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東大パパ(@todaipapa33)です。

先日、こ2人の子どもを連れて、ちょっとオシャレなカフェへ、ランチに行ってきました。

子どものジュース代も含めて3,000円ほどのランチです。

以前も行ったことがあったお店なのですが、今回かなり久しぶりに行きました。少なくとも、2人目が生まれてからは初です。

 

料理も美味しくて、雰囲気も大好きなお店です。夫婦でお気に入りです。

今回も、とても楽しい時間を過ごしていました。

 

 

 

途中までは。。。

 

 

というのも、

 

キッカケは店員さんの対応です。

 

泣きだした0歳児を抱えた女性客に、店員が発した言葉は…

食事も終盤にさしかかって、食後のコーヒーを飲んでいたときに、
ベビーカーで寝ていた0歳の息子が泣き始めたのです。

 

それなりの広さのお店で、他にもお客さんがいたのですが、子ども連れの方もちらほらいました。

 

そんな中で、お腹が空いたのか、泣き始めた息子。

その場で授乳もできない妻は、ベビーカーから息子を抱き上げ、あやし始めました。

 

それでも、完全に泣き止まない息子。

 

すると、店員さんがやってきて、

 

「あのー、他のお客様もいらっしゃいますし、これ以上泣くようでしたら…」

 

と言ってきたのです。

ようは、「うるさいから、早く出ていけ!」ということです。

 

正直、ここまで露骨に言われたのは初めてで、ビックリしました。

一瞬、妻と顔を見合わせましたが、怒りとショックで言葉が出てきませんでした

 

今までとても気に入っていた店だったこともあり、

このような店員さんの対応には、とてもショックでした。

 

確かに、周りのお客さんに迷惑がかかるのはわかりますが、

「泣くのが仕事の0歳児」を抱えた女性に向かって言う言葉ではないと思います。

 

「だったら、授乳室くらい完備しろ!」

「オモチャや絵本の1つや2つくらいは用意してろや!」

「気が利く店なら、それくらい普通にやっているぞ!」

 

 と思いましたが、その場では何も言いませんでした。

 

日本は、まだまだ子どもを育てにくい環境なのか?!

私自身、子どもが生まれてから気づいたことがたくさんあります。

 

例えば、エレベーター。

今までは、ほとんど使わなかったので、

  • 駅やお店にエレベーターがあるか
  • エレベーターまでの動線はスムーズか
  • エレベーターに乗る順番

など、まったく気にしたことがありませんでした。

 

しかし、子どもができて、ベビーカーを使うようになると、毎日のようにエレベーターを使います。

「エレベーターがないなー」

「エレベーターに乗るのに、一回外に出るの…?!」

「乗る順番くらい守れよ、ここベビーカー優先エレベーターだぞ!!」

と、いろいろ思うことが多いです。

 

立場が変わると、視点が変わり、いろんなことを気づかせてくれます。

 

そういう意味だと、日本はまだまだ子育てしづらい国なのかもしれません。

 

もちろん、国によると思いますが、海外ではもっと子育てに優しい環境やインフラを整えている国があると思います。北欧など。

 

少子化が叫ばれていますが、少しでも子育てしやすい環境や制度といったものを充実させていってほしいな、と感じました。

【東大受験】合格するためのアドバイス

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東大パパ(@todaipapa33)です。

今日は東大受験に向けたアドバイス的なものをお伝えできたらと思います。

  • 東大に行くことが重要なのか?
  • 勉強って意味なくね?!
  • 学歴なんてどうでも良くね?!

という意見や議論はあると思いますが、今回は置いておきます。

東大受験を考えていらっしゃる学生さんや親御さん、
あるいは一般的な「受験対策」という意味でも参考になれば幸いです。 

「どうやったら東大に合格できるのか?」という、
「手段」や「考え方」について、私なりの具体的な意見を述べて見たいと思います。

 

 

ベースとなる考え方は、

  • 東大受験は立派な「ビジネスジャンル」、「業界」です。
  • 塾、予備校、出版社がこぞって、傾向と対策を研究しています。
  • そのような情報を最大限活用しましょう。

というものです。

 

【アドバイス①】過去問は中学1年のときに買う

私が、実際にやったことで、効果があったなーということの1つがこれです。

中1のときに過去問を買いました。

詳しくは覚えていないですが、
自分からなのか、親からなのか、
どちらかきっかけで東大に興味を持ったのでしょうね。

なんだかんだあって、「じゃあ過去問を買おう!」という流れになったのだと思います。

 

で、結果的に大正解でした!

振り返ってみると効果がありまくりだったと思います。

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中学1年で過去問を買う目的は、2つ!

①少しでも早く「最終ゴール」をイメージすること

目的は、「少しでも早くゴールを知る」。これです。

最初にやるべきは、全体像の把握です。

  • 東大の入試問題ってどんなものなのか?
  • どんなレベルの問題が出題されるのか?
  • 問題数はどれくらいなのか?

こういった情報を漠然とでよいので、早い段階で頭に入っておくと、

そのあとの勉強のモチベーションや計画が違ってきます。

特に、中高一貫校の場合は効果が高いと思います。

 

私の友人で、東大に落ちて、一橋大学に行った人がいるのですが、

彼と大学受験時代を振り返って、話をしていた時に、

「俺、東大の入試問題に社会が2教科必要だなんて、高3の春に知ったわーー」

と言っていました。

本当かどうかはさておき、こういう事態は避けなければなりません。

 

こんな情報は、過去問を買えば一発でわかるわけです。

情報収集は早いに越したことはありません。

東大合格を目指すなら、中学1年のときに買ってみるのはおススメです。

 

②知的好奇心をかりたてること

過去問を早い段階で買う目的のもう1つが、「好奇心をかりたてる」ためです。

東大を目指そう!と思っている人や、

東大を目指したい!と思っている人は、

すでに勉強や学ぶことに対して、興味がある人だと思います。

 

この「子どものやる気&好奇心」を、いかに大きく育ててあげられるか?

がとても大事だと思います。

 

人間は、本来、好奇心のかたまりです。

いろんなことを知りたいし、学びたいと思っています。

 

しかし、いろんな感情から、

あきらめたり、学ぶことはカッコ悪いと思ったり、

現状に満足したり、、、

学ぶことをやめてしまいます。

せっかく、本能的に好奇心があるのに、それにブレーキをかけてしまうのです。

 

中学1年生は、まだまだ純粋ですし、

何よりも頭がとても柔らかくて、何でも吸収できる年齢だと思います。

 

この時期に、いかに「知的好奇心をかりたてられるか?」はすごく大事だと思います。

 

その点では、東大の過去問を与えてみる、というのは良い手だと思います。

  • 学校では、This is a pen. みたいなかんたん例文しか学んでいないけど、いろんな英語の表現があるんだな~
  • whichってなんだろう?
  • as って、is の書き間違いかな~?
  • sinθ ってなんだ?!
  • 難しい漢字がたくさん並んでいるな~、どんな意味なんだろう?

など、いろんな興味・関心がわいてくると思います。

 

それが大事だと思います。

あとは、勝手に子どもがいろいろ調べたりし始めます。

なぜならは、人間は本能的に「知りたい」、「学びたい」と思っているからです。

そうじゃないと、生物として進化していかないからです。

 

もう1つ大事なことは、「過去問は、解かなくて良い」ということです。

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【アドバイス②】過去問は「解く」のではなく、「読む」もの

中学生に過去問を与えても、ほぼ確実に1問も解けないと思うので、

そもそも「解こう」と思わないと思いますが、

 

高校2~3年生になっても、「解く」のではなく「読む」ことをおすすめします。

とにかく「読む」。解説を含めて「読む」。

 

理由は、いくつかありますが、最大の理由は、

「過去問と同じ問題は、今年(または、その人が受験する年)の入試問題には出ないから」

 です。

特に当てはまるのが、「去年の過去問」です。

 

個人的には、去年の過去問は「解いてもムダ」だと思います。

実際、私は解かなかったです。じっくりと読んだだけです。

 

過去問から得るべき情報や経験は、

  • 最近の問題傾向
  • 時間配分

だと思っています。

 

最近の問題傾向を知るためには、問題文を読み流して、予備校(例えば、駿台、河合塾など)が研究している「傾向と対策」を熟読するのがもっとも重要だと思います。

 

あとは、時間配分のコツをつかむために、「本番と同じ条件」で過去問も解いてみる、というのはとても意味があると思います。

辞書などを使わないのはもちろん、静かな部屋できっちり時間を計って、本番さながらで過去問を解く。

 

 

おわりに

 まだありそうなので、別の記事で、続きを書きたいと思います。

(参考になっている人はいるのかな~。。)

 

ただただ、おとなしく「空気」となる息子

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東大パパです。

ここ最近の記事は、娘の話題ばかりでした。

 

というのも、わが家で圧倒的に存在感があるのが上の子(娘)なのです。 

娘:約2歳半
息子:約6ヶ月

という年齢、月齢なんですが、

下の子は、ほとんど「空気」と化しています。

 

存在を消しがちな息子  

ちょっと目を離すと、勝手に寝ていたり、

上の娘が泣きじゃくって騒ぎまくっている中でも、
何も言わずに指をしゃぶっていたり、

こちらが「生きてるよね?!」と心配になるくらい、大人しくしています。

 

夫婦で話をしていたり、

娘と話したり、

娘とボールで遊んだり、

いろんなことをしていると、あっという間に時間が過ぎるのですが、

 

つい気を抜くと、息子の存在を忘れてしまします笑。

 

「あっ!、〇〇くん、そこにいたのね!」

「あっ!、知らない間に寝てる!笑」

 

なんてことがよくあります。

ホント、「空気」と化しています。

 

親としては、育てやすい一面もあるのですが、ちょっと心配ですし、

あまりかまってあげていないので、申し訳ない気持ちもあります。

 

少しずつ主張し始めた息子

そんな中、息子も成長してきたのか、

かまって欲しくなってきたのか、

少しずつですが主張をするようになりました。

 

パパとママが部屋からいなくなると、泣き叫んでみたり、

寝返りを頻繁に行い、自分のポジションを少しずつずらして目立ってみたり、

 

今までに見られなかった行動が出てきました。

 

今までは、「まだ意志のない赤ちゃん」という感覚でしたが、

最近では、「意志を持ち始めた子ども」という感じでしょうか。

 

まだまだ話すこともできないですし、

できることも少ないですが、

少しずつ自己主張ができるようになってきて、

うれしいですね。

 

これから先、

どんな声でしゃべりだすのか、

どんな遊びがすきなのか、

どんな性格なのか、

いろいろわかってくると思いますが、

今からとても楽しみです。

「時間」は、すべての人間に与えた唯一、平等なもの。

東大パパ(@todaipapa33)です。

今日は、子どもへのメッセージを。わが家の家訓の一部です。 

 
このブログでは、子どもに伝えたいメッセージを「我が家の家訓」としてまとめています。

我が家の家訓 - 東大パパの子育て日記

 

今回のテーマは「時間」についてです。

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人間は平等か?不平等か?

正直なところ、すべてにおいて人間みな平等だとは言えません。

同じ人間でも、生まれた国が、日本の人もいれば、最貧国の人もいます。

親の経済力も子供の教育に大きく影響していることがわかっています。

そういう意味では、人間みなが平等とは言えないでしょう。

 

しかし、たった1つ言えることがあります。

 

それは、皆、1日は24時間だということです。

  • 大人も子供も
  • 男性も女性も
  • 先生も生徒も
  • サッカー選手も野球選手も
  • アイドルも芸能人も
  • お金持ちも貧乏人も

 みんな、1日は24時間です。

 

「時間」をどのように使うか?がその人の人生そのもの

この1日24時間という限られた時間を、
どのように使うかが、その人の人生を決めます。

 逆に、1日24時間の積み重ねが、その人の人生そのものになります。

その人の「命」そのものになります。

 

時間はとても大切です。

 

限れた「時間」というものに対して、どのように過ごすか?

 

どうせなら、

「つらく」「苦しい」ことよりは、

「楽しく」「嬉しい」ことに時間を費やしたい。

 

「夢」や「希望」を持って、

前向きに、挑戦して、時間を過ごしたい。

 

たまには、自分の意図に反して、

「つまらない」「いやな」ことをしなくてはならない時もあります。

そんなときも、どうせなら少しでも「楽しく」過ごせるように、

いろいろ工夫してみることが大事だと思います。

 

「今日」は二度と来ない

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ある人は、こんなことを言ったそうです。

 

あなたが虚しく生きた今日は、
昨日死んでいった者があれほど生きたいと願った明日

 

置かれた環境や立場によって、時間のとらえ方は違ってきます。

「明日も生きたい」という強い願望を持った人が過ごす1日と、

「明日もつまらない1日か、明日が来なければいいのに」と悲観している人が過ごす1日は、

時間の密度が異なります。

 

 

当たり前のように過ぎ去る「今日」は、決してあと戻りできません。

「あのとき、こうすれば良かったな~」

「もっと、こうすれば良かった。。。」

と思っても、後戻りできません。

 

過ぎ去ったあとに、後悔しないように、
1日1日を大切に、時間を大切に過ごしてほしいと思います。

また、1日1日を大切に過ごさないと実現できないような、
素敵な夢や目標を見つけられると素晴らしいと思います。

 

私自身、そのときどきで、目標に向かって1日1日を、
時間を大切にしてきたつもりですが、やはり、多少の後悔はあります。

 

もっと勉強しておけばよかった。

もっと努力しておけばよかった。

 

自分の子供には、このように思うことが少なくなることを願っています。

 

しかし、そうやって多少は後悔することもあると思いますが、

決して「無駄」な時間なんてありません。

 

そのことも、いつか家訓として記事にしたいと思っています。

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